社員の声

社員の声

Cさん 「障がいとうまく付き合う」

  私は、交通事故により2つの障がいを持ちました。体幹機能障がいと高次脳機能障がいです。
  体幹機能障がいにより体位を維持するのが難しく、立つこともできなかったため、リハビリをして歩けるようになるまでは車イスで生活していました。理学療法士の先生や家族の支えもあり、今では歩けるようになり、小走りでなら走ることもできます。また、重いものを運ぶこともできます。ですが、今でも立っている時に不意に大きな力が加わると、自分でも「ちょっと大袈裟さすぎる。」と思うくらい派手に転んでしまうことが稀にあります。また、高次脳機能障がいでは記憶することに障がいがあるため、毎日の生活を送る中で広範囲にわたってさまざまな影響があります。仕事面では、入社当初、手順がなかなか覚えられなかったため、自分用の手順リストを作成し、1つの手順を終える毎にチェックをつけながら処理を進めていました。

  私が事故にあったのは、大学に入った年の平成16年11月22日、高校生の夏休みからアルバイトを続けていたガソリンスタンドでの夜勤帰りでした。バイクで道路を直進していた私は、突然、死角からUターンして合流してきた車を慌てて避けようとして、転倒してしまい、頭を強く打ち、意識を失って救急車で総合医療センターに運ばれました。
  意識が戻ってすぐの時は、「原付に乗っていた時も一度、事故をしてから中型免許を取ったし、よし、次は大型二輪の免許を取ろう。」と思いましたが、総合医療センターから他の病院へ転院し、リハビリをしていくにつれ、「ん?これはちょっとただ事じゃない。」と思い始め、それと同時にこんな状況にもかかわらず、「次にまた免許を取ろう。」と考えていた自分が信じられなくなってきました。バイクには数多くの思い出があります。16歳で原付バイクの免許を取り、陸路を延々と三重県の津市や九州の阿蘇に行ったことがあります。中型免許を取得してからは夜勤明けに意味もなく琵琶湖を一周したこともあります。今になって思うと、こういった思い出に残る事をしておいてよかったと思います。

  リハビリを始めた頃は、言葉を思うように発することが困難だったため、言語療法のリハビリも受けました。言語療法士の先生は、私が阪神タイガースファンだったので、毎日のようにスポーツ新聞を片手に、「昨日は阪神、また勝ちましたよー。」や「昨日は負けましたよー。」といった風に言語療法のリハビリを始めてくれました。また、手先は今もさほど器用ではないのですが、事故後すぐは今以上に不器用だったため、マンツーマンで作業療法のリハビリも受けており、当時はマンションに住んでいて階段を上り下りする必要があったため、そのためのリハビリも行いました。
  今になって振り返ると、先生方は私の話すたわいもない会話に付き合いながら、リハビリをしてくださっていました。本当にありがたい限りです。
  その後、更生療育センターに移りました。そこでのリハビリで屋内用の自転車に乗っている時、ふと、「本物の自転車に乗ってみたい。」と思い、無理を承知で一度、先生に「本当の自転車に乗ってみたいです。」と言ってみたところ、快く聞き入れてくださり、乗れるようになるまでマンツーマンでサポートしていただきました。そのおかげで、今では自転車にも乗れるようになりました。その他にも高次脳機能障がいの患者のグループリハビリでは、4~5人のグループで毎週集まり、みんなで出かける計画を立てたり、井戸端会議等、さまざまなことを話し合ったりしました。また、長居にある障がい者スポーツセンターに行って体を動かすこともありました。

  3年近くにおよぶリハビリが終わって大学に復学してからも、しばらくは支援を続けていただきました。私が自分で大学の職員の方に障がいのことを伝えるよりも、専門家が伝えたほうが伝わるだろうということで、更生療育センターから3名の先生方が大学まで出向き、職員さん方と話し合っていただいたこともありました。
  大学の授業では、字を書くペースが遅く板書のペースに追い付けないことから、本来なら聴覚障がい者の方に付く「ノートテイク」という筆記通訳をしてくださるボランティアさんに付いてもらって、板書の代筆を行ってもらいました。ノートテイカーの方たちと大学の教務課の職員のみなさん、事故してから入ったゼミのみなさんからの全面的なサポートをいただいて、学生生活を送ることができました。

  卒業が近づき、就職活動の一環で何度か障がい者のための面接会に行きましたが、なかなか就職先が決まらず、そのまま卒業してしまいました。卒業してからは「クロスジョブ」という、障がい者の就労移行支援事業所の利用を希望していましたが、空き待ちの状態でした。クロスジョブに入るまでの間は、記憶することに障がいがあるため、火は使えないので、平日は基本的に料理以外の家事の手伝いと犬の世話という生活を半年以上続けていましたが、その年の夏にようやくクロスジョブに入ることができました。クロスジョブでは、レストラン等で使うおしぼりを洗浄し、また使える状態に加工する工場や某電気会社の特例子会社で巨大なシュレッダーに延々と廃棄書類を投入していく仕事、紙の資料を電子化する会社等で実習をさせていただきながら、2年半にわたる支援を受け、縁あってニッセイニュークリエーションに就職する運びとなりました。

  内定が決まってすぐの頃は、主治医や親から「本当に長続きするのか心配。途中で投げ出したりしないだろうか。」等、周りからいろいろと心配されましたが、入社してからは、アドバイザーをはじめ、上司のみなさんに支えていただきながら働いています。入社当初は右も左もわからない状態でしたが、今では会社生活や仕事にも慣れてきました。今よりも手際よく仕事をこなせるようになることを目標にがんばっていきたいです。
  事故にあってから10年になりました。今になって思うと、この10年は非常に短く感じます。これから先もこの障がいとうまく付き合っていきたいです。

  

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